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花園祐

Author:花園祐
 歴史とインドを何より愛する現在20代の一匹狼です。専門は国際政治と中国語で、そのほか社会学なども扱っています。 連絡先 miyamakikai@gmail.com

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陽月秘話 出張所
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
異能者の孤独
 連載中ですが、前から用意していたネタなので一本追加です。

 恐らく、私は間違いない異能という分類に属する人間です。周りが言うのもそうですが、自分から見ても周囲と自分の思考や行動方法は明らかに異なっています。この異能が良いか悪いかは別として間違いなく言えることは、このような異能となったのは私自らが望んでなった結果だということです。

 こう言うのもなんですが、私は小学生の頃からどこか風変わりなところがあったと思います。何故そうなったのかというと、まず第一に周囲のの言っている内容、やっている行動がどうみてもおかしい、無駄じゃないかというように考えたからです。基本的に小学校というのは集団で動くものですから、みんなそれぞれ何か間違っていると思いつつも、その間違った行動に従いやすいものですが、私は昔っから反骨精神にみち溢れており、ちょっとしたゲームでもずるする人間がいたり、周りがそういうからという意見などに対してすぐに、「お前は間違っている!」などと糾弾したものです。

 しかし、そんなことやっていると集団で浮くのはまず確実です。実際に中学校から特に激しくなり、私に対する言われのない批判や陰口が私の耳にまで入ってくるようになりました。私自身、何がどうさせているのかも十分解っていました。周囲の思考様式、行動様式にさえ私が合わせれば、このような批判はすぐやむだろうということもわかってはいましたが、いちいち言うまでもありませんが私は自分の様式を一切改めることはありませんでした。

 何故かというと、私がそうして行っていた様式は私が最も正しく、かつ自らを向上させる唯一の様式だからだと信じていたからです。変に流行の言葉を使わずにわかりやすく、かつ威厳の持たせることのできる独特の言葉遣いを敢えて使ったり、周囲が高いお金を出して流行のカードゲームをやっていても、そのブームはすぐに去るだろうからそっちへはお金を使わずに、もっといろいろな本を買ったほうがいいなどと、常に自分の考えを優先して周囲に合わせることはごくまれでした。

 しかし、自分ではどれだけ正しいと思っていても、周囲からの批判はやむことはありません。そうすると次第に、「自分のやっていることは本当に正しいのか?」というように、疑問を感じるようになっていきました。いっそのこと、周りに合わせていた方がいいのでは、もしかすると間違っているのは私なのではないかというように、これでも結構悩みました。

 このような所までくると、もはや一種の賭けのような状態です。自分の思考や能力を信じるか、周囲の批評を信じるか。どちらが正しいかと分ける根拠というものはありません。もしかしたら自分が正しいと思っていることは自惚れで逆に自分を貶めているかもしれませんし、周りの目の方が既成にとらわれているだけかもしれません。

 このように、異能者というのは常に孤独です。自らがそうして育て上げた能力が評価されるその時まで自分一人で頑なに能力を信じて守りぬかねばなりませんし、そうして守っていたものが地雷である可能性すらあります。
 幸いというか、私の場合は現時点で私のことを高く評価してくれる人間に数多く出会えることができました。しかしそれまでの間は、自分がやっていることが正しいのか周りの言うことが正しいのかが一切わかりませんでした。

 ただこんな風に青春時代を過ごしてきた副作用というか、今ではやたらと自己の主張の正当性を訴える自信過剰な性格にはすっかりなってしまいました。これは予想外ですが、ちょっとしょうがないかなという気もします。
 現在ですら、恐らく私のことを評価してくれる人間というのはごく少数でしょう。それでも、そうして評価してくれる人間のために自分は自らを磨き続けていこうと信じて今日もあれこれ手を出している次第であります。

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スカイ・クロラを見て
 実は先週、友人に誘われて公開中の映画、「スカイ・クロラ」を見にいきました。詳しい内容は現在も公開中なので言えませんが、簡単に感想だけを書いておきます。

 具体的に言うと、この作品のテーマは終わりのない日常です。このテーマはこの映画の監督をしている押井守氏が何度も扱っているテーマで、「うる星やつら ビューティフルドリーマー」という作品でも、楽しい時間である文化祭の準備が永遠に続く世界というものを書いています。

 作中に、主人公は終わらない日常ということに対して、「普段歩く道、その中の些細な変化だけでは、満足することはできないのか?」という自問をしております。実は私も、このテーマについて昔から延々と考えていた時期がありました。高校時代には非常に中途半端な形でしたが、「永遠」ということについて考える小説も一本上げています。

 極論を言ってしまうと、人間というのは何かしら目に見える形で自らを含めた周囲の変化を確認しないと、生きていけない人間だと思います。共産主義の硬直化した社会や、同じことを繰り返すサラリーマンの日常、どちらも「人間的ではない」と大抵の人は批判します。逆に、変化が目に見えてわかる子供の成長などは、非常に好感を持って受け止められます。

 ちょっと話は外れますが、ゲームジャンルのなかでRPGというものが何で高く評価されるのかといったら、それはやっぱりキャラクターがレベルが上がるなどして成長するからだと思います。スタート時からずっと同じ装備で延々と同じ敵を倒すシューティングやアクションなどは、やっぱり辛口の評価を受け安いと思います。ファミコンの、「怒」はおもしろかったけど。

 しかしその一方、激しい変化に対して人間は極度の疲労を感じるのも事実です。最近だとめまぐるしい家電製品の進歩やパソコンの新機能に対して、「この際ウィンドウズは2000でもいいじゃないか」という人もでてきた……のかな、私はそうなんだけど。歴史的な事例だと、E・フロムがドイツでナチスのようなファシスト政権が誕生したのは、第一次大戦後に急激に民主化がが行われために国民は不安を感じ、逆に硬直的で保守的な政策を採ってくれるナチスを待望したためと分析しました。

 こういう風に言ってると、変化が全くないと嫌だし、かといって変化が激しくとも嫌だという。人間って本当にわがままですね。ただこれまた極論を言うと、変化の究極点というのは、やっぱり滅亡だと私は思います。それならばまだ、少ない変化でも満足できる人間の方がすばらしいのではと思い、レトロな趣味を持ち続けていこうと心に誓う次第であります。

テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

自分のどこに生きる価値があるのか
 これなんか私の友人は耳にたこができるくらい聞かせている話題なのですが、私は自分自身に、あまり生きる価値はないと思っています。昔から周りに迷惑ばかりかけていて、キリスト教的価値観で考えるとどう転んだって死後は地獄行き決定な人間だと思いますし、中学生くらいの頃から二十歳まで生きられればひとまず御の字かなと思っていました。そのため二十歳を超えた現在では、二十歳を超えた年数分、余分に生きてしまったと常に悔いている毎日です。

 しかし、それでも私はある一点において自分の生きる価値は非常に高いと考えています。その一点というのも、私の能力です。
 前回の記事でも書きましたが、人からよく指摘され、誉められるのは私の膨大な知識量です。事実私自身も自分の持っている知識の量には自信があり、自分という人間が死ぬことは全く惜しくはないのですが、自分が死ぬことでこの知識の山がこの世界からなくなってしまうというのは、どう考えてももったいないと考えてしまいます。同様に知識だけでなく、世の中を見たり、立案を行える思考力にも自信を持っています。

 実は先日、信長の野望をやりながらふと思ったことがありました。こういう私の生きる価値感というのは忍者に似ていないか、何故か他国の武将の暗殺成功時に思いつきました。
 もっともこれは講談の中だけの話でしょうが、司馬遼太郎氏の「梟の城」という作品で書かれている忍者のように、豊臣秀吉を暗殺しようとする忍者が、かつて織田信長によって忍者の里を滅ぼされた恨みとか天下国家のためとかという理由ではなく、自分が磨いてきた忍の技術を証明したいというためだけに警護の厳しい秀吉の暗殺を謀る、というような心理に近い匂いを感じました。。

 この価値観と真逆なのは言うまでもなく、武士の価値観です。よく言われる「葉隠」の一説にある、「武士道とは死ぬことにあり」というのは事実的にも間違いで、私の見る武士の生の価値観とは、すべてお家にあると思います。如何に自分の一族を栄えさせるか伝えるか、そのお家のために自分は歯車となる、というようなのが日本の武士の価値観だと私は考えています。言ってしまえば、あくまで講談の中だけですが忍者というのは自分の技術のために生きる個人主義なのに対し、武士というのは家族主義、ひいては全体主義的な価値観ではないでしょうか。

 どちらも自分個人が生存する価値観というのは希薄です。忍者は、くどいようですが講談の中では仕事を完遂することが主目的で、そのために自分の命を投げ打つ事すらあります。武士もお家のために、捨て身の奉仕を自らに要求します。
 なので、今の私の価値観は忍者に近いような気がします。私も何か大きな仕事を成し遂げられるのなら、自分の命など平気で差し出すつもりです。さすがに自爆テロとかはしませんけどね。

テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

実存主義について思うこと
 あまり深く理解してないで言うのもなんですが、ヨーロッパ哲学で現在力のあるこの実存主義の大綱を簡単に私流に言わせてもらうと、
「世の中に神様とか仏様は実際にはいない。なので厳密に言って人間にはこの世で生きていく上での使命やら運命ってのはないんだから、人それぞれにこの世で生きていく目的を見つけねばならない」
 という風に、勝手ながら理解させてもらっています。恐らくこういう考え方だから、ニーチェも「神は死んだ!!」とか言ったのだと思います。ちなみに、アメリカのある大学で「神は死んだ ニーチェ」という落書きがあったところ、次の日にその場所には、「ニーチェは死んだ 神」という落書きが上書きされてたそうです。

 多分、日本人からすると、「なんでヨーロッパ人はそんなことを真剣に考えてるの?」とか思う人も多いのではないかと思います。そんな使命やら運命がなければ生きていけないのかだとか、今まで普通に生きてて変だと思わなかったのかというように、私は素直に感じました。
 そしたら案の定というか、この実存主義の先駆けとなったドイツの思想家ハイデッガーは、年取ってから日本で浄土真宗を開いた親鸞が書いた「歎異抄」の翻訳を読んで、えらい感動したそうです。この浄土真宗の教えをこれまた私なりに解釈すると、
「人間、生まれてきたことだけに感謝しなさい。生きてるってハッピー!!」
 ってな内容なので、なんとなくハイデッガーが感動したというのも私なりに理解できました。

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情報の入出力に必要な能力
 一般に、頭が良いという評価は、日本では知識をどれだけ多く持っているかで測られることが多いです。それこそ高校までの勉強はどれだけ数学の原理や歴史の人物名、化学式などを暗記するかで測られ、実社会でも商品知識から世の中のことをいろいろ知っているとなにかと重宝がられます。しかしそれらの知識、いわば情報を活用する段階の入出力に関わる能力については議論が少ないように思えるので、今回はこの点について考えてみようと思います。

 まず情報の入力ですが、これを左右する能力はほかの何者でもなく単純に理解力です。この理解力の中身はというと、どれだけ短時間に、またはどれほど難しい情報を頭に詰めこめられるかを問う能力です。この点については多分、読んでいる方もなんの疑問も感じないでしょう。肝心なのはこの次の出力です。

 というのも、これは私が中学生くらいの頃に考えたことなのですが、たとえばある賢い人は理解力が高くて、一般の人と比べて二倍も知識が豊富だったとします。しかし肝心の出力は悪くて、その賢い人は一般人の四分の一しか知識の活用ができないとすると、結局のところ2×1/4=0.5で、普通の人(1×1=1)の半分しか役に立たないことになります。

 ここで言いたいのは、どれだけすばらしい能力を持っていたとしても、それを生かす力がなければ宝の持ち腐れになるということです。こう考えた私は当時からこの出力の訓練に取り掛かりました。具体的に何をやったかというと、今みたいに文章をひたすら書く、つまり表現力を磨いていったのです。実はこの表現力こそが、能力の出力を左右する源泉だと私は考えています。

 日本人は最近作文も書かなくなったので、特にこの表現力の低下が激しいような気がします。しかし、頭に詰め込むだけでなくそれを応用的に使う能力、この表現力がなければほとんど知識は意味を成しません。幸いというか、私の場合は訓練の甲斐あってか今では人からよく、「説明の仕方がうまい」とよく誉められます。このブログでも、なるべくたくさんの人、一応は政治や社会問題に関心の強い中から上級者向けに書いてはいますが、できることならあまりそれらの問題に詳しくない初心者に方にも理解できるように努力しています。

 私の見方からするとこの表現力はこのところ軽視されがちで、私のように意識的に鍛えようとする人は少なくなっている気がします。私としては理解力同様にこの表現力も重要だと思うので、もっと注目しておくべき存在の能力だと思います。

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